高円宮家

3月1日天皇皇后両陛下御動向(産経新聞)

宮内庁発表分

【午前】両陛下 人事異動者が謁見(御所)

【午後】陛下 ご執務(御所)
陛下 エストニア、フィンランドの赴任大使が拝謁(御所)
両陛下 引き続き、各大使夫妻とのお茶(御所)

天皇皇后の予定表に表記されていない日も赴任してきた外国大使と会ってお茶したり、人事異動者と会っておられるわ。これらはほとんど報道されないので、雅子さまは皇后になっても、平気でパスする可能性が可能性が高いわね。在位30周年記念のお茶会でさえ全部、欠席されたのだから。



2013年には雅子妃の勉強が出来すぎる女性の不幸な人生とかいう記事が週刊現代に出てたのね。雅子さまってそんなにお勉強が出来たの?ホント?

結婚するまでの雅子妃の経歴には、まさに他を圧倒する迫力がある。
[char no="2" char="馬之助"]山口真由さんの方が真正の他を圧倒する迫力ある経歴だと思うんだけど。

山口真由
出展:山口真由[/char]  雅子妃の父・小和田恆氏は、東京大学教養学部とケンブリッジ大学大学院を卒業し、事務次官にまで昇りつめた外務省のトップエリート。この間、在米大使館公使、在ソ連大使館公使、国連大使などを歴任し、現在は国際司法裁判所判事の要職にある。また、母親の優美子さんも慶応義塾大学を卒業後、エールフランス航空の東京支社長秘書を経て恆氏と結婚した〝エリート専業主婦〟だ。
[char no="2" char="馬之助"]雅子妃の父・小和田恆氏の兄弟はみんな東大で、頭いいんでしょ。外務省に入ってからは頭の良さと強欲さで怒涛の出世を果たし、チッソ会長のお金持ちのお嬢さま、優美子サンと結婚し、更なる上を目指して雅子ささまを皇室に送り込んだのね~[/char] この父母のもとで大切に育てられた雅子妃もまた優秀だった。父の仕事の影響で、幼少期をソビエト連邦、スイス連邦で暮らす。帰国後、優美子さんの出身校でもある名門・田園調布雙葉学園小学校に編入、高校まで同学園で過ごした。

「小和田家は一家揃って教育熱心です。特に優美子さんは、何としても雅子さまを、母校の雙葉学園に入学させたかった。そこで、幼い雅子さまを連れて雙葉幼稚園の、かつて美智子皇后の指導にあたった先生に会いに行き、『どうか娘の雅子を指導してください』と頼みこんだのです」(皇室ジャーナリスト・渡辺みどり氏)
[char no="2" char="馬之助"]これって、コネで入れてもらいました、ってことを書いているのだわね。[/char]  その後、雙葉高校在籍中に、再び父の仕事の都合でアメリカのボストンへ移住し、ハーバード大学経済学部に進学した。
[char no="2" char="馬之助"]雅子さまが入学したのは、ラドクリフ女子カレッジだったらしいわよ。ラドクリフ女子カレッジはハーバード大学と提携関係にあって、統合吸収されたのよ。共立薬科大学が慶応大学薬学部に、大阪外大が大阪大学外国語学部に統合されたのと同じ。見事な学歴ロンダリング~。それに当時、小和田恒がハーバードで教えてたらしいし・・・。ね。[/char] ハーバードでは学業に熱心に取り組み、在学中に執筆した論文で、「優等賞」を受賞。経済学部で受賞したのは、当時まだ3人目だったという。
[char no="2" char="馬之助"]小和田恒の外務省の部下が3人、雅子さまの論文のお手伝いしたって、読んだことある~[/char] こうして、幼少期から徹底した英才教育を受けた雅子妃は、持ち前の勤勉さを武器に、父と同じ外交官の道へ進む。そして、次代の皇室を担う皇太子妃として、白羽の矢を立てられたのだ。
[char no="2" char="馬之助"]こういうのを徹底した英才教育というのかしらね~?雙葉もハーバードも、外務省入省t区別待遇だったような気がするんだけど。皇太子妃候補として、白羽の矢が立てられたというより、小和田恒が娘を売り込んだようなことを以前読んだ~。[/char] 当時、海外暮らしで培った広い見識と聡明さを持つ雅子さんが、皇室に新風を吹き込んでくれるかもしれないという期待も大きかった。ところが—。

成婚から20年の月日が経ち、雅子妃の評価は真逆のものに変わってしまった。その原因は、「完璧すぎる経歴」にあると、別の宮内庁担当記者は語る。

「雅子妃ご本人は、『皇室外交の担い手になる』という意気込みで結婚されたのだと思います。実際、それを期待させる言葉で、皇太子は雅子妃を口説き落としている。しかし、いざ結婚してみたら、求められるのは跡継ぎの出産のことばかり。皇室外交への期待の声などほとんどない。前に出て自分を主張したり、能力をアピールすることは、皇族らしくない振る舞いとして疎まれ、変人扱いされてしまうのですから、行き詰まって当然でしょう。
[char no="2" char="馬之助"]皇太子さまと雅子さまの婚約内定会見では皇太子が発言するごとに、”ひとこと付け加えさせていただきますと・・・”とおっしゃって、ずいぶん、自己主張の強い方だと思ったわよ[/char] 雅子妃が皇室祭祀に参加しないことへの苦情もよく聞きますが、皇室祭祀は自分の存在をアピールできる外交のような場とは対極的な滅私の場だから、雅子妃には参加する意味が見出せないのではと思います」
[char no="2" char="馬之助"]皇室というものをもっと知って、結婚するかどうかを決められたらよかったわね。ともかく、雅子さまに、皇室は合わないのよ。[/char] 頭がよく、合理的。挫折を知らないエリートの女性が、皇太子に見初められ、日本で最も歴史ある旧家「皇室」に嫁ぐ—。シンデレラストーリーで始まった結婚生活だが、当初からこの「ミスマッチさ」に不安を抱いていたと語るのは、今上天皇の学友でジャーナリストの橋本明氏だ。
[char no="2" char="馬之助"]挫折を知らなかったのは、親のコネがあったから。確かにミスマッチ。片山さつきが皇室に入ったような感じ。しかし片山さつきの方が勉強は100倍、出来たと思うわよ。帰国子女枠ではなく、正面切って受験して東大に合格なさっているし、ちゃんと単位をとって卒業しているから。片山さつきって筑波大付属中学、高校から東大なのね。[/char] ご成婚当初の東宮御所には、明るさがありました。皇太子にようやくお嫁さんが来たという嬉しさが漂っていた。ところがすでにその時、『雅子さまの朝のお目覚めが悪くて、殿下のお見送りも上手く出来ていない』という話が耳に入ってきたのです。結婚の直後からこんな状況になってしまうとは、一体どうしたものかと、不安になりました」
[char no="2" char="馬之助"]『雅子さまの朝のお目覚めが悪くて、殿下のお見送りも上手く出来ていない』ということが結婚当初からあったというのは驚きね。これでちゃんと大学も外務省も遅刻しないで通えたのかしら?結婚当初から昼夜逆転の生活なら、元々、そういう体質の方だったってことなんじゃない?[/char] しかし、実は結婚以前から、キャリアウーマンである雅子妃を皇室に迎えることを不安視する声が、宮内庁内部で上がり始めていたという。

「反対派の宮内庁職員が、お妃候補から雅子妃を外そうとしたところ、皇太子が『(雅子さんと結婚できないのであれば)それなら僕は結婚しない!』と、憤慨なさったこともありました」(東宮関係者)
[char no="2" char="馬之助"]皇太子は本当に雅子さまが好きだったのかしら?秋篠宮殿下が紀子さまと結婚したので負けるものかと、対抗心で張りぼてとはいえ、ハーバード卒、東大大学院中退(単位取得ナシ)が魅力だった?[/char] 雅子妃と皇室の歪は、早くも生じ始めていたのだろう。そして近年議論を呼んだ、愛子内親王の通学の付き添い問題に関しても、雅子妃のエリート意識が影響していたのでは、と考える意見もある。
[char no="2" char="馬之助"]張りぼてエリートだけど、意識だけは本物のエリートだと思う~[/char] 「愛子さまの学校でのいじめ問題以降、雅子妃は長い間付き添いをされていました。ご自身が、親子べったりの純粋培養のエリート教育で育ってきたので、同じ感覚だったのでしょう。しかし、通学に10人も20人もお付きが付いてくる様子は、本当に異様ですよ。ところがご本人は、親として当然という感じで周囲の迷惑に気づかない。学習院には、親は同行しないという原則があるにもかかわらず、自分の娘が心配という理由だけで、それを無視する。広い視野で物事を考えることができないのではないかと思ってしまいます」(学習院関係者)
[char no="2" char="馬之助"]愛子さまの学校付き添い事件の時、その気になれば、起きれるんだわって思ったわよ。10人も20人もお付きが付いて毎日、参観されてたのね~[/char] 病気の発症後、たびたびその行動が原因で批判を浴びるようになった雅子妃。なぜ、このようなことになってしまったのか—この問題を考える上で、「父親の影響力の大きさ」が重要な要因になっていると、皇室ジャーナリストの神田秀一氏は語る。
[char no="2" char="馬之助"]皇室に入ってから病気になった、皇室が悪いということになっているけど、雅子さまは結婚前から病気だったんじゃない?だから結婚直後から、朝起きれない事態になったのよ。[/char]

「先のオランダ訪問で、小和田夫妻は宮内庁にも現地に同行した東宮職にも断りなく、皇太子ご夫妻が宿泊されていたホテルを訪問しました。その直前にも密かに日本に帰国して雅子妃と面会している。皇室に嫁いだ方の前に、その両親がことあるごとに現れる。皇室の歴史上、こんなことは例がない。娘が皇室に入ることは、恆氏にとっても誇らしいことだったのでしょう。なるべく目立たないようにしようとする美智子皇后のご実家の正田家との最大の違いは、ここにあります。

一方、雅子妃も父親の行動を嫌がらないということは、妃の中での恆氏の存在、影響力がどれほど大きいかを物語っている。私には、雅子妃の通学時の付き添いの様子が、恆氏の行動そっくりに見えました」

 恆氏を身近で見てきた外務省キャリアOBも言う。

「雅子さまには、自分が信頼しない人間は、東宮の人間であれ誰であれ、厳しく拒絶するところがあるようですが、父の小和田氏もまさに同じタイプでした。接触したくない人間とは一切交流をもたない小和田家には、『自分にとって味方か、敵か』で人を区別するところがあります。実はこれは典型的な官僚思考。東大から霞ヶ関というエリートコースを歩んできた人間によく見られ、その意味では小和田氏や雅子さまに限ったことではありません。

でも、皇室はそれとは正反対の場所で、自分の好き嫌いで判断することは厳格に慎む教育がなされ、その文化の中で子どもも育てる。だから、皇室と雅子さまには異文化の衝突がある。また、ご両親もそんな雅子妃を後押しし、夫である皇太子も味方している。そのため、雅子さまも皇室に順応しようというお気持ちにならないのではないか」

ジレンマを抱え続けた結果、雅子妃は体調を崩し、'03年末に長期療養を発表。「適応障害」という形で、雅子妃の心は重圧に潰れていく……。
[char no="2" char="馬之助"]なんでこんな人と結婚なさったのかしらね・・・。[/char] そしてその半年後、皇太子の口から「人格否定発言」が飛び出し、物議を醸した。この一連の出来事にも、恆氏がかかわっていたのではないかと、宮内庁のベテラン職員が語る。
[char no="2" char="馬之助"]「人格否定発言」は明らかに、小和田側から言わされた言葉ね。人格否定なん手言葉、皇太子はご存じなかっただろうから。[/char] 「普段から皇太子殿下と接している関係者からしてみれば、あの発言は非常に違和感のあるものでした。というのも、あのようなトゲのある言葉は、殿下が持っておられる語彙にはない。実際、小和田元次官の力が働いたのではないかと考える者も少なくなかった。小和田氏が殿下のお口を借りて、宮内庁とマスコミに抗議のメッセージを送ったのでは、と憶測が飛び交ったのです。殿下は、雅子妃を支えなければならないという非常に強い責任感をお持ちですから、小和田氏にも逆らえなくなっているのではないか、と……」
[char no="2" char="馬之助"]皇太子は小和田の言いなりの婿養子状態。小和田ナルちゃんになっちゃったのよ。[/char] この人格否定発言の中で、皇太子は、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と告発した。このキャリアとは、まさに「外交官としてのキャリア」だと、精神科医の香山リカ氏は指摘する。

「皇太子のプロポーズ自体が、『皇室には君の能力が必要だ』という意味の、いわばヘッドハンティングでした。雅子妃にしてみれば、恋愛を成就して結婚したというより、キャリアアップのために皇室に〝転職〟した、くらいの気持ちだったのかもしれません。雅子妃は『外交官は一生の仕事』と話していました。皇室外交という言葉が、彼女の気持ちを動かしたのです」
[char no="2" char="馬之助"]雅子さまは外交官は一生の仕事と思ってられたようだけど、父親のコネで優遇して貰っていただけ。皇太子妃となってしまったので、どれほど無能だったかを表立っては誰も言えなくなったんでしょ。小室圭だって、三菱UFJ銀行時代の無能さは眞子さまとの結婚が暗礁の乗り上げたからマスコミが書くけど、順調に結婚してしまっていたら、週刊誌は書かなかっただろから。[/char]  だが、いざ菊のカーテンをくぐると、雅子妃が想像していたものとはまるで違う現実が待っていた。

「雅子妃は、いまだにそのギャップを乗り越えられずにいます。むしろ、キャリアウーマンとして培ってきた強い意志を捨てられず、一歩も妥協できていない状況です。雅子妃が、万一皇太子妃とならず、外交官としてキャリアを積んでいたなら、同じような仕事をしている人と結婚して、国際的に活躍されている緒方貞子さんのような人生を歩んでいたかもしれませんね」(前出・香山氏)
[char no="2" char="馬之助"]緒方貞子さんのようにはなってないと思う。ただ、父親のコネである程度の地位になり、父親のコネを目当ての男が近づき結婚して、それなりに幸せになっていると思うと今の状況は気の毒。お父様を恨むしかないけど、今でも父親が大好きなんだから、いい年して、親離れできない人ね~。[/char] 雅子妃が、みずからを窮地に追い込み、それでもなお抱き続けている「自分の能力を活かして活躍したい」という想い。これは、〝勉強が出来る女性〟特有の感情である—そう語るのは、雅子妃の大学時代をよく知る女性。彼女もまた、東大を卒業した秀才だ。
[char no="2" char="馬之助"]彼女もまた、東大を卒業した秀才と書いているけど、雅子さまは東大を卒業してないわよ。[/char] 「東大出身者をはじめ、勉強が出来る女性は試験の成績がよく、偏差値の高い学校に入ると、自分は能力が高いんだと誤解してしまいがちです。そして、これは私自身にも言えることですが、常に自分のプライドを満足させたいという気持ちを軸に行動してしまう節がある。成績は、人間の総合的な能力の一部分でしかないということが言葉ではわかっていても、最終的にはそこを自分の拠り所にしてしまう。男性に対しても、自分の能力を認めてくれる人にだけ過剰に甘え、他の男性は軽視するか無視する、という傾向があります。

女性の場合、社会に出れば成績や能力以外のものも要求される。いくら学校の成績がよくても、それだけでは幸せになれないよとか、いい結婚はできないよと言われるたびに、被害者意識に陥って、周囲を拒絶してしまうようになるんです」

雅子妃は秀才として、間違いなく順風満帆な人生を送ってきただろう。「勉強が出来すぎる」がゆえ、皇室に嫁ぐ道も前向きに受け止めた。だが、そこで出会った初めての異文化。雅子妃はその壁の前に、今も立ち尽くしているかのようだ。
「週刊現代」2013年6月29日号より

馬之助の感想

雅子さまを勉強が出来すぎると書いているけど、違うって。田園調布雙葉小学校編入に始まって経歴全部コネ。

自分の力以外の父親の力で順調に挫折することなく生きてきたので、父親の助けがなきゃ、自分だけの力では生きていくことが出来ないってことなんでしょ。

雅子さまがは元々、朝起きれなかったり、ウツ気質があったんだろうけど、引きこもりの病気になったのは皇室で自分の能力を発揮できないことのジレンマからだというより、男系男子が生まれず、いずれ、秋篠宮家に皇統が移ってしまうことが悔しいんだと思うわよ。わかる気はするけど。

今も、公務に熱心になれないのは、紀子さまの子供が天皇となることへのやっかみもあるだろうし、なにか忘れ物のをしてきたような、達成感のない、残念さではないかと思う・・・。

たくさん産めたら、そのうち男子が生まれたかもしれないけど、それが出来なかった原因は皇太子にもあるだろうから、皇太子は雅子さまの言いなり状態となってしまい、天皇皇后も強くは言えないまま、皇太子妃時代の半分以上の時間をスキーや静養ですごしてしまったのよね。

もし男系男子が生まれていたら、公務にはそれなりに出ていたと思うわ。以前は出ていたんだから。気の毒というか、かわいそうだと思わなくはないわ。でも、世継ぎを生むことが皇太子妃の最大の仕事だし、それが出来ない場合のために、スぺアとして宮家が存在しているのだから、仕方ないのよ。

今からも遅くないから、公務をこなしていけば、なにかしら、生き甲斐が生まれてくるわ。そうすれば病気だってちょっとはよくなると思うのだけど・・・。
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